沖縄空感が沖縄の今を読み解く注目の有名人にインタビューしました! 面白いお話が聞けました。ぜひ御覧下さい。 |
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一度は出た沖縄だけども...。 「広い世界へ出て、やりたい事を見極めたかった」と話す彼女。5年前に沖縄を離れ、見知らぬ土地・京都で暮らすうちに『歌いたい』という気持ちが膨らみ『jimama』を結成。 ちなみに『ji mama』とは沖縄の方言で「自由奔放、わがまま」という意味があり、当初は4人で活動していたが、のちにワンマンプロジェクトとなり沖縄へ戻る。 「地元で、地元の人間に自分の唄を伝えたかったんです。ここの土地の人間って自分の家族みたいなものじゃないですか。だからそういう人たちへありがとうっていうのを伝えたいという気持ちがあって」と語る彼女。数々のライブやイベントなどに出演し、『jimama』の存在をアピールし続けた。 そうして活動を続けていくうちに、今まであせっていた自分に気付き「自分は自分でいいんだ」と心境も変化。「沖縄で作る曲と共に、自分自身も落ち着き始めた」と話す。 そんな彼女を目の前に、周りを和ませるような空気を感じていた私は気付けば妙に納得していた。
実は日記も書かない、コードもわからない。いきなり始めた作詞と作曲。 彼女が現在のようにオリジナルの曲を始めたのは京都に居る時から。これまで日記も書かなかった彼女が「自分にプラスになるし、刺激にもなれば」と始めたのが作詞で悩みつつ書き上げるが、当時のバンドメンバーに見せるのが本当に恥ずかしかったそう。 「こんなに言葉足らずでいいんだろうか?! 私、こんなに陳腐なんです!って(笑)もっと勉強しておけばよかったって思いましたね。」と振り返るが、初めて書き上げた曲が『空へ』だったと聞き、こんな大作が初?!と驚いた私は思わず声をあげてしまった。 「そういう風に見てみたらシンプルすぎだって思うでしょ?(笑)」と彼女は笑う。 それからは、次々と彼女自身や身の回りで起こった事などを独特の世界観で書き上げていき、同時に沸き上がる曲のイメージも、作曲担当へ言葉や身振り、時には演奏してみたりして伝え、数々のオリジナルを完成させていく。 ● 次頁は、こんなに良い唄に囲まれてたのに自分は気付かなかったんだ!って悔やみましたね。
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